年越しの日の共感
故国がお祭り騒ぎに沸いている春節前の大晦日、私は一人、果てしないネットの海の中で、旧知のネットサーファーの姿を探し求めていた。パソコンの脇に置かれたマグカップからはコーヒーの熱い湯気が緩やかに立ち上っている。窓の外には寒暖の変化が激しい冬の風景が広がり、遠くで瞬くハート型のネオンが、翌日の2月14日に東京に訪れるもう一つの楽しいイベントを象徴している。
「再び日本を漂流する」突然現れたブログのタイトルに惹きつけられ、思わず顔をスクリーンに近づけた。「1年半の国内の生活で、心身共に疲労してしまった・・・食品の安全には保障がなく、家では電話による詐欺から身を守り、街ではバッグを盗まれないように気を遣い、会員カードを作るにも詐欺に遭わないように気をつけ、「人民の公僕」である政府部門とのやりとりで何度も呼び出され・・・超人でなければ国内の煩わしく複雑な生活をこなすことはできない・・・私は再び、愛憎相半ばする日本に逃げ帰ってきた。言ってみれば、まったく失敗の人生だ。」
目の前に、いつも微笑みを浮かべている顔が浮かんだ。彼女は、名前も知らず、会ったこともないが、ずっとネット上でその行方に注目していたブログ上の友人である。9年前に来日し、熱心に勉強して素晴らしい成績で立教大学大学院の経済学修士を獲得した。彼女の向上しようとするねばり強い精神に感服し、いつも心の中で応援していた。一昨年の夏の夜、彼女は「東京に語る言葉」というブログで「さようなら、東京!私はあなたへのすべての愛情を今夜の清風と明月に託します。」という言葉とともに自身の漂泊生活に終止符を打った。
最近は北京から発信されてくるブログを読む中で、彼女の輪郭が次第にはっきりとしてきた。「私は自分が変化していくもう一つの過程を見ているような気がする。海亀がしだいに囚われの鳥になっていく過程を。」「仕事のストレスは大きく、年越しの夜にも仕事の原稿を書いている。」「国内の1年半の生活で、私には何度か自殺という考えが浮かんだ。」この告白は、私の心を強く揺さぶった。他国の習慣に馴染む為に、その国の環境に努力して溶け込み、その結果、故国の生活に適応できなくなった「海亀派」(留学帰国者)は以前から数多くいたが、このように厭世観に捉われた話を聞くのは初めてのことだった。 濃いコーヒーを一口含み、苦味の中にかすかな香りの余韻を味わう。日本へ戻ったことは、もう一度頑張る為の原動力になるのか?それとも人生の逃避の避難所に過ぎないのか?私は心の中で彼女に問いかけた。そしてキーボードを叩き、彼女の為に自分の心の扉を開いた。「『途上にある』と言える人生があります。海外に漂泊する全ての人が、そのような人生を歩んでいます。途上であっても、やはりそれも人生です。歩く道の周囲の美しい景色を大いに楽しめば、漂泊の歳月を恐れたり不安に感じたりすることはないでしょう。」そして署名欄に「あなたと同じ境遇の『東京人』」と入力した。
再びブログを訪れた時は、すでにテレビから「列島の桜便り第一号」が届いた初春だった。年越しの夜に書き込んだメッセージの下には、一行の小さな小さな返信があった。「機会があれば、この『途上』にある『東京人』と知り合いたいです。あなたのメッセージに感動しました。」熱いものが湧き上がり、私の視界がぼやけた。再び明るく輝く日々がまもなく訪れることを告げるかすかな呼び声が、遥か遠くの山から聞こえてくるような気がした。(姚遠執筆)
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