【写真提供:神田サオリ】
100年前、ベルギーの劇作家メーテルリンクが童話劇「青い鳥」を創作した。きこりの子であるチルチルとミチルがクリスマスの夜に夢の中で様々な土地に出かけ、青い鳥を探し求めるという物語である。この劇はスタニスラフスキーの演出によりモスクワ芸術座で初演されて大きな話題となり、その後、ドイツ、イギリス、フランス、アメリカ、中国などでも上演され、20世紀全体に大きな影響を与えた。そして、「青い鳥」は世界共通の楽しさと幸福のシンボルとなり、代名詞となったのだ。

「小さい頃から感じていた、日本のキレイ、せかいの綺麗。肌、土、紙、衣を、音、映、踊、灯と結びつけて、カタチにしてゆく。いろいろな方との出逢いに、躯が反応する、手が動く。今、私が言える本当は、『描くの、スキ』」

この心から溢れ出るような独白は、「ペインティングアーティスト」神田サオリさんの言葉だ。サオリさんは山口県生まれ。2歳から3歳まで、大手商社で働く父親の海外転勤のために一家でバグダッドに住んでいた。イランイラク戦時下で、物資が不足していたため、現地では子供のための玩具がほとんどなかった。そこで父親が会社から持ち帰った、廃棄されたテレックスの紙束が、サオリさんの一番の玩具になった。紙いっぱいに絵を描いていると、彼女はまったく飽きることがなかったという。

小学校2年生の時、父親は再び転勤になり、一家でドバイに移り住んだ。ドバイ日本人学校は生徒が少ない分、個性が伸び伸びと育つ環境で、サオリさんの絵画に対する情熱と才能はここで大きく開花した。運動会で配られるプログラムの表紙の絵を描いて友達にたいへん好評だったため、嬉しくてサオリさんはますます絵を描くのに夢中になった。ドバイでの生活は小学校6年生まで続き、芸術の種は心の中でゆっくりと根を張り、芽を出していった。日本に帰ってからも絵を描くことを学び続け、ついには芸術の世界を選び、武蔵野美術大学の視覚伝達デザイン学科に進んだ。

デザインを専攻したため、美大に入ってからはデザイン概念の習得が先行した。その為絵画制作の機会が減って、サオリさんは描く事に欲求不満だった。ある時、偶然出会ったイラストの展示会にて、彼女は作者の自由な画風に影響を受け、自分ももっともっと描きたいんだという想いを赤裸々に告げた。こうして出逢ったDJかつ画家の先輩が、彼女を音楽という大きな世界に引きこんでくれた。それ以後、サオリさんはクラブイベントにて仲間が音楽を演奏する時に、会場に絵を展示したり、ライブペイントをしたり、ボディペインティングを行うようになった。そして次第に大学の外でも新しい友達や様々な人々と知り合い、常に知識と経験を吸収し、未知の世界に飛び込んで行き、独自の創作スタイルを切り開いていった。

「躯」が神田サオリさんの芸術創作のテーマである。もともと人体の美しさに魅入られていた彼女は、アラブ文化の影響を受け、ヘナアートと出会うことによって、ボディペインティングに強く興味を持つようになった。ヘナアートはインドやアフリカや中東に伝わる芸術で、植物の葉から作った天然の染料で体の上に絵を描くものであり、すでに5000年の歴史を持っている。「皮膚に描いた絵は、体の動きにつれてまるで生きているかの様に動いてくれる。その生命あってこその美しさに心惹かれました。」とサオリさんは言う。

アラブ文化は重要な契機ではあったが、やはり体内の血脈を流れる「日本の美」が彼女の美意識の原点である。小学生の頃、ドバイ日本人学校の小さな図書室で日本の美術作品を夢中になって鑑賞していた彼女は、ある時画集で初めて日本の刺青(いれずみ)に出会い心打たれた。アラブのボディペイントの風習と日本の刺青の模様が、幼い彼女の心に深く刻まれたのである。

本格的にボディペインティングを始めたのは大学卒業後だったが、サオリさんの絵画人生は常に順風満帆だったわけではない。突然方向を見失って、自分が何を描いていいかわからなくなり、創作について危機感を感じたこともあった。何故和風の絵に捕われてしまうのか。このままでいいのか。しかしサオリさんは決してあきらめなかった。常に自分を見つめ直していく中で、アラブ世界で心からの感動が初めて訪れた時のことをふと思い出した。また、丁度そのころ最愛の人と関わることで、改めて自分の肉体としての女性性を認めるようになった。

肌の上に艶麗な花がほころび、髪が水の流れのようにゆらゆらと揺れる・・・新しい感覚が、サオリさんに全く新しい創意をもたらした。そして、臨月の女性のお腹に、産まれゆく新たな命への祈りを込めて満開の睡蓮を描いたり、女性のヌードを砂漠風景に見立てて、風の様に砂紋の様に肌を伝うアラベスク紋様を描いたりした。「ついにインスピレーションをつかんだという感覚に興奮しました。そしてますます夢中で躯と紋様の世界に没入していったのです。」

「私はミュージシャンのライブに行く度に、内面をその場でリアルに表現し、観客のみんなとダイレクトにエネルギーを交感しあっているのが、とても羨ましいと思っていました。」そこで、サオリさんは「自分の絵画世界でもそれをやってみよう」と考え始めた。アラブ文化の好きな彼女は音楽やリズムにも非常に敏感で、好きな音楽を聴くと筆をとって絵を描きたい衝動にかられるという。
 
2002年に林明日香という素晴らしいボーカリストと出逢った時、その朗々たる唄声に心が震え、真っ赤な大輪の花が咲いてゆくイメージを描かずには居られなかった。ソウルメイトとの出逢いが、サオリさんに音楽と共鳴して絵を描く素晴らしさを教えてくれた。林明日香の上海&台湾デビューライブの際は衣裳と舞台美術も手がけた。それ以来、様々なミュージシャンたちとコラボレーションし、CDアルバムジャケットやライブ衣裳制作、演奏に合わせてライブペインティングをすることが、サオリさんの仕事の重要な部分になっている。

神田サオリさんとミュージシャンがセッションした作品は、多くが強烈な個性と主張を持っている。華麗な色彩と奔放な線が旺盛な生命力を感じさせ、繊細な細部の描写には女性アーティスト特有の柔らかな内心の世界が感じられる。

音楽の中でサオリさんは自由に体を踊らせ、まるで体が音楽と一体に溶け合ったように思われる。手に持った筆が自由に飛翔し、画面にはしだいに、旋律と交錯する美しい風景が描き出され、魔術師のように見る者を夢の世界へといざなってくれる。美しく乱れた女性の髪、人魚のすらりとした尾、湾曲した菊の花びら・・・流れるようなのびのびとした世界が広がっていく。

「私はライブペインティングをしている時、絵を描く姿自身も作品の一部分であると考えています。音楽に反応して描き踊る制作過程自体も絵であり、そのダイレクトなエネルギーが観客のみなさんと呼応しあった時会場が一体となるのです。もちろん制作過程だけが創作のすべてではなく、やはり描き上げた作品の完成度こそ重要です。いつまでも眺めていたい絵が描けてこそ成功と言えるのです。音楽と観客の皆と共鳴しあうこの貴重な空間で、頭からっぽに導かれるまま反応する即興性と、絵画として着地させる完成度、その矛盾しているとも言える創作に、惹き込まれて取り組んでいる最中です。」


ボディペインティングやパフォーマンスの他に、オーダーメイドで手描きドレスを製作することも神田サオリさんの仕事の一つである。主に大切なウェディングの衣裳として、お客様一人一人のイメージに合わせてデザイン画を起こし、パターンナーの協力を得てドレスを制作、描き染めと刺繍を施す世界でたった一つのドレスを製作している。ドレスは制作期間約3ヶ月程。

また、お客様自身のお気に入りの洋服に、描き染めをするオーダーも受けている。「どんな場所に着ていかれますか?」「どんなお気持ちになりたいですか?」サオリさんはいつも、一人一人の持つイメージを理解するためにお客さんとじっくり話をしながら洋服に絵を描いていく。オーダーを受けてから約3週間程で描き上げる服の絵は、お客様が着てくれて初めて完成する。染料は漂白をしても落ちないものを使用するため、10年以上前に描いた作品を着て、個展に逢いに来てくれるお客様もいらっしゃる。そんな時、とても感動するという。

手描きの服を製作する彼女の真摯な気持ちが、愛のキューピッドを感動させたのかもしれない。ある展覧会で、彼女の作品が出版印刷会社でデザインを担当する一人の青年の目を捉え、共通の美的感覚が二つの熱い心を瞬く間に近づけた。手描きの服が神田サオリさんに人生の伴侶との出逢いを導いてくれたのである。現在、彼らの仲を取り持つことになったこの服「螺逢-raai-」は、彼女の仕事場に飾られ、無言ですべてを物語っている。

さらに人々を感動させるのは、高級な和服の生地に精密に描かれた菊や牡丹や月下美人の絵である。まるで水墨画や中国の細密画の傑作が紙から抜け出して、和装姿に乗り移って艶やかさを競っているようだ。身体に咲いた風景のような美しい和服が、秀麗な日本の景色をさらに美しく彩っているように感じられる。

「My dream:音、色、香り、灯りの中に裸でつかるような『温泉ギャラリー』を創ること。」――神田サオリさんのプロフィールには、このような夢が書かれている。

今後の計画について、サオリさんは夢中で語ってくれた。「今まで私は、出逢いに導かれるままに反射的に制作してきましたが、1つの作品に長い年月じっくり向きあっての制作にも挑みたい。そしていつか、ずーーっと死んでからも遺るような作品を創りあげたい・・・それから、創作活動を通じて世界中のもっとたくさんの国の人たちと交流したいです。日本以外でも展示をしたり、様々な国のミュージシャンとセッションしたりして、もっとたくさんの文化と出逢い、深く深く刺激し合いたいと考えるようになりました。」

絵画は間違いなく、神田サオリさんの生活に根ざした幸せと感謝の表現であり、彼女が人生を実感する為に無くてはならない魂の根である。「人生を表現する私にとって、毎日の暮らしを楽しむ事はとても大切です。例えば家族や仲間と集ってご飯を食べるとか、家の内装を手創りで工夫するとか・・・そんな小さな幸せの中で、心がほっこり潤った時にこそ、産まれる作品もあると思うのです。ありがとうの気持ちがあふれた時に、チカラが満ちた絵が産まれます。毎日の中で色んな人から貰ったあたたかいチカラを、絵に表現する事で、また誰かに手渡していきたい。そうやって、ぐるぐる廻っていって欲しい。」

神田サオリさんの家の、世界各国の民族家具が同居する落ち着いた雰囲気の客間の天井は、鉄骨をむきだしたデザインに仕上げられており、彼女はたった今そこに、数枚の巨大な、アラブの砂漠の写真と自分のボディラインとで構成された軸装作品をかけたところである。初夏の爽やかな風が窓から入り込み、絵を揺らして室内に光と影の揺らめきを作る。神田サオリさんは静かに絵の間をすり抜けながら、それぞれの絵を制作したときのインスピレーションや動機を語り続ける。清潔で透明な美しさ、自然によって彫琢された優美さ・・・ふと、一羽の青い鳥が羽ばたいて、月の光が泉のように流れる仙山の夢幻境を飛んでいく情景が目に浮かんだ。

多謝、描幸を求め続ける神田サオリさんこそ、伝説の中の「青い鳥」そのものではないだろうか?(劉詩音・姚遠執筆)

神田サオリ−SAORI’An

山口県生まれ。武蔵野美術大学造型学部視覚伝達デザイン学科卒業。「躯と紋様」を創作テーマとして、絵画、衣装制作、ボディペイント、ライブペイントを行う。ライブペイントは、国内外のアート界で数多く行われ、東儀秀樹、林明日香、ウルフルズ、iora、TOYOTA,shuuemura、EDWIN、YAMAHA、H.P.FRANCE[水金地火木土天冥海]などとコラボレーションしている。東京、ニューヨーク、タイなどでライブペイントを行い、上海ではARTFAIRに参加した。2006年より、東レDCAの審査委員を担当。2009年6月21日には沖縄県立美術館より招待、ライブペイントを行う。8月1日〜1ヶ月、渋谷明治通りTKタケオキクチ店舗にて手描き着物の展示販売を行う。またファイヤーダンサーの躯にボディーペイントする映像作品も放映する。12月には渋谷西武百貨店ギャラリーグループ展に出展。また、青山「新生堂画廊」にて個展開催。

オフィシャルサイト SAORI’An http://www.saorian.com
(SAORI’Anとは「サオリ庵」であり、絵が産まれゆく場が、様々な人が集り縁が繋がるそんな「庵」であって欲しいという願いから生まれた言葉である)
ブログ http://saorian.blog52.fc2.com/
ビデオ http://www.myspace.com/saorian

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